そ    の    も  ゆ   る      ぞ  ぢ づ    

2017年7月31日月曜日

刑事コロンボ


今は亡き名優の小池朝雄さんが吹き替えたピーターフォーク主演の刑事コロンボ。
「うちのかみさんがね」の名台詞も小池さんの吹き替えがあってこそ、これほど記憶に残る作品になったんだろう。もちろん、ピーターフォークのとぼけた演技もすばらしい。ぱっと見た目は、よれよれのトレンチコートで手には短くなった葉巻、髪はボサボサ、名刑事には見えないが、ねちっこく細かな証拠を積み重ね最後には犯人を追い詰めていく。犯人も作家、写真家、大佐や芸術家などハイソでインテリを鼻にかけた人種ばかりで、この小男をまぬけな刑事と油断し、皆コロンボの術中にはまっていく。
毎回、有名な俳優がゲスト出演し、犯人役になるのも、素晴らしく厚みのある作品に仕上がっていた。
このコロンボが私は大好きです。コロンボを見下していた連中が、最後にはコロンボの本質を知り、ある意味尊敬に近い対応に変わっていくところが実に面白いし、胸がすく。それにコロンボのキャラクターが実に楽しい。何でも好奇心が旺盛で、人懐っこく親しみやすく、実にチャーミング。本人はいたって真面目なのが余計に笑いを誘う。
暇になると、何回も見てしまうお気に入りのシリーズだ。
刑事コロンボはロサンゼルス市警・殺人課の警部。毎回、セレブな犯人のちょっとしたミスを見逃さず、執拗な捜査と推理で犯人を追い詰め、最後には犯行の謎を解き事件を解決する。コロンボの風貌といえば、はぼさぼさの髪によれよれのトレンチコート、口には葉巻を咥えている。物腰も柔らかで、うだつの上がらぬ外見で犯人達は警戒心を緩めてしまう。しかし、コロンボの小さな疑問に受け答えしていくに連れ、コロンボの巧みさに気付き犯人達は追い込まれていく。
殺人事件の謎を追うミステリードラマだが、暴力的な描写はなく、射殺された血まみれの遺体も出てこない。犯人とのやり取りと謎解きを楽しむドラマだから、そういう描写は意味を持たないからだろう。
主演のピーター・フォークの吹き替えは故・小池朝雄さん。もちろん作品は素晴らしく面白いのだが、小池さんの吹き替えがあったからこそ、ここまで人気を博したのだろう。「うちのかみさんがね・・・」、「あとひとつだけ・・・」、「よござんすか・・・」などのお馴染みのフレーズに加え、犯人の話に感心したり驚いたりする台詞まわしも巧みで、最終的に犯人を追い詰め謎解きを語る迫力も見事だ。元々、ピーター・フォークは甲高い声で小池さんの声質とは違う。NHKで放送していた当時、生の音声で見たいという視聴者からの要望が多かったので、字幕で放送したことがあったそうだ。
原音が良いと信じている人達のリクエストだと思うが、字幕での放送後は同じ様な要望は全くなくなったそうだ。小池コロンボに馴染んでいる視聴者には甲高いフォークの声に違和感を感じたのだろう。
最近は声優を専門にされている方が多くなったが、当時は新劇の役者さんも多く吹き替えされており、しっかりした演技が身についた役者さんが声で演技をしていたからこそ吹き替えが成り立っていたのだろう。
コロンボに登場する犯人役には毎回豪華なゲストスターが登場する。一話ずつ完結するから、ロバート・ボーン、ロバート・カルプ、ドナルド・プレザンス、ミスター・スポックことレナード・ニモイなどの豪華な俳優を出演させることが出来た。
田村正和さんの古畑任三郎は、ストーリー展開、キャスティング、古畑の語り口調など、コロンボから大きく影響を受けた作品なのは有名なお話だ。
ディック・ヴァン・ダイク演じる写真家が妻を殺害する「逆転の構図」、科学者ホセ・ファーラーが息子のために殺人を犯す「愛情の計算」、野望を実現するために手術で殺人を企てる医師レナード・ニモイ「溶ける糸」など豪華なゲストスターが名を連ねている。
あのスティーブン・スピルバーグも若い頃に刑事コロンボを1本監督している。
完全犯罪を成し遂げたと確信しているセレブな犯人は、一様に冴えない風貌のコロンボを見下しているが、話が進むに連れてその立場が逆転する。観ている視聴者は皆コロンボ目線で応援する。番組後半に決定的な証拠をつき止めたコロンボが、犯人に謎解きを語る時、強い口調で証拠を並べ立て、最後に静かに反論の余地のない事実を語る。いいぞ!コロンボとテレビの前で拍手を送る瞬間だ。
何度観ても面白い。話が分かっていても面白い。だからこそ何年経ってもCSやNHKなどで放送するのだろう。
主演のピーター・フォークも今や80歳を過ぎ、ニコラス・ケイジのネクスト以降は映画には出演していない。
ニュースではアルツハイマー症の症状が現われていて、ビバリーヒルを意味不明のことを言って歩いていた姿をパパラッチに撮影され、家族が正常な判断ができなくなったフォークと彼の財産を保護する申請を裁判所に提出し認められたと聞いた。
悲しい話だが、私達を楽しませてくれたピーター・フォークに心穏やかな余生を送らせてあげて欲しいものだ。
◆追記
2011年6月23日に惜しまれつつ天国に旅立たれました。 合掌。

セルラー


期待せずに見た映画だが、面白い映画だった。
誘拐された女性が、壊れた電話から偶然つながった男に救いを求める。このシチュエーションからして、面白そうと思ってDVD借りて見た。これが、凄くテンポもいいし、面白い面白い。この偶然つながった電話が携帯(セルラー)ってところがポイントかな。
以下、ねたばれがあるかも。
この女性が学校の先生でかつてはお色気ムンムンで売っていたキム・ベイシンガー。迫力のある演技で結構はまっていた。偶然、電話をとるのが、街のあんちゃん風のクリス・エバンスこの2人が映画の軸になるのだが、珍しく悪役のジェイソン・ステイサムと引退間近の警官ウィリアム・H・メイシーと脇がまた渋い。
映画は、数分だけ前振りがあって、後は一気に本題へ突き進んでいくのだが、これがまたいい。まどろっこしい説明なしで本題に入るからもうきたのって感じで一気に最後までもっていかれてしまった。
脇役なんだけど、このウィリアム・H・メイシーがすきだな。飄々としているんだけど、味があっていいなあ。
結末までは、説明しないけど是非見て欲しい映画です。

いとこのビニー


「リーサル・ウェポン」シリーズでおなじみのジョー・ペシ主演のコメディ。
「ベストキッド」のラルフ・マッチオが、友達と旅行中に行き違いで殺人犯に間違われる。困ったマッチオが、藁をもつかむ思いで、弁護士になったと聞くいとこのビニーをよぶ。ところが、このビニー、真っ黒の革ジャンを着た街のあんちゃんにような井出達で、彼女のマリサ・トメイもいけいけ姉ちゃん。失敗を繰り返しながら事件を解決していく。
話はいたって簡単。この映画がすごく面白い。法廷劇のスタイルを一応はとっているんだけど、あんちゃん、姉ちゃんだから、当然普通の法廷劇でない。裁判が始まって早々に法廷侮辱罪で留置されるわ、泊まるところ泊まるところで睡眠を邪魔されるわ、トラブルの連続。
この映画、ジョーペシはもちろん良いんだけど、マリサ・トメイがキュートで可愛い。一見すると街のお姉ちゃんなんだけど、ペシを後押しするしっかり者。兎に角いい味を出していて、このコメディでアカデミー助演女優賞までとってしまった。
気楽に楽しめるいい映画。おすすめの逸品。

赤い風船


アルベール・ラモリス監督の「白い馬」と「赤い風船」が昨年2本立てで上映された。
なかなかDVDにならず、DVD化が待ち遠しかったがDVDも発売された。
2本まとめてのDVD化である。
特に私は、赤い風船が大好きだ。
思えば、初めて良い映画に出会ったのは小学生の頃だ。3年生ぐらいだったと思うが、学校の講堂で観たこの「赤い風船」という短編映画だ。30分ちょっとの短い映画だが、美しくかわいい映画だった。この映画は、フランス映画でアルベール・ラモリスという監督が撮った作品だ。主演の男の子は、パスカル・ラモリスで監督の息子さんだ。
赤い風船は1956年の作品で35分、白い馬は1953年の作品で40分とどちらも短編のずいぶん昔の作品だ。
でもその映像の美しさは50年経った今でも色褪せることはない。見たことのない人には是非見て欲しいすばらしい作品だ。白い馬はモノクロ、赤い風船はカラーの作品である。赤い風船は、フランスはパリの街が物語の舞台になっている。モノトーンの町並みを少年と赤い風船が歩いていく映像が本当に美しい。
一言でいうと絵本のような映画なのだ。ストーリーも絵本のようにシンプルだ。
ある日少年が学校に行く途中、街灯に引っかかった赤い風船を見つける。少年が街灯から風船を外してあげると、赤い風船は少年の後を子犬のようについて回るのだ。
学校に風船をつれてきたことが、気に食わない意地悪な校長先生に、罰として部屋に閉じ込められてしまう。赤い風船は少年のために校長先生の後を追い掛け回し、とうとう根負けして少年は部屋から出してもらえる。そのときに少年が見せる不安げな表情が、また良いのだ。
蚤の市で鏡に映った自分の姿を見つめる風船。女の子の青い風船について行ってしまう赤い風船。
少年と赤い風船がパリの町並みを歩く姿がユーモラスに描かれていく。
お話の結末は伏せておくが、ラストにパリの町中から集まってくる色とりどりの風船の映像がこれまた美しい。パリの暗い色彩の町並みに花が咲いたような鮮やかさは絵画を見ているような感じだ。
子供らしい良い表情のこの少年は、実は監督の息子さんでパスカル・ラモリス。白い馬や素晴らしい風船旅行にも出演している。
カンヌでも短編映画のグランプリを受賞した素敵な作品だ。
本当に素敵な映画なので是非是非見て欲しい。

日本誕生


神話というのは、ギリシャ神話にしろ古事記や日本書紀の神話にせよ、国の成り立ちや人間がどうして生まれたのかなどというこの世の始まりの物語だ。当然、主人公は神様だ。海の神や太陽の神など八百万の神々が登場するファンタジーだ。日本の場合は、奈良時代に歴史書として大和朝廷が編纂したものだが、天皇の神格化など政治的な色合いも強い書物だ。実在したかどうか分からない天皇や皇子も登場する。
有名なところでは、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)、須佐之男命(スサノオノミコト)だが、東宝が映画1000本製作記念として作られた映画が、「日本誕生」だ。古事記や日本書紀のエピソードを元に日本武尊を主人公にして日本神話の世界を映像化した作品だ。
何より凄いのが、登場するスターの豪華さだ。今で言うなら、高倉健と渡哲也、菅原文太、渡辺謙に松方弘樹とにかくビッグな名前を総動員した感じだ。特撮は、ウルトラマンやゴジラの円谷英二と東宝が会社を上げて作った作品だ。
まず主演は、日本映画俳優の代表、世界の三船だ。日本武尊と須佐之男命の二役を三船敏郎が演じている。あの豪快で華のある三船敏郎が、この悲劇の皇子を演じている。日本武尊は、取り巻きの大伴氏の謀略もあり、父の景行天皇から恐れ嫌われ、少ない兵を率いて西方の熊曽討伐に行かされたり、戦から帰ると休むまもなく東方への戦に行かされるなど、虐げられる。武勇に優れ人々から好かれる皇子であるにもかかわらず、不幸な目に合う悲劇のヒーローなのだ。
喜ぶときも豪快、悲しむときも大声で泣き、民と笑い、ともに泣く明るく豪快なキャラクターに三船敏郎はぴったりだった。
女優陣も超豪華なトップスターがずらり。水野久美、香川京子、上原美佐、原節子、司葉子、田中絹代と写真を並べただけでも華やかだ。司葉子が演じる御子の弟橘姫は、言葉で言えない美しさだ。原節子は、天の岩戸に隠れる天照大神役だが、その神々しさは特筆物だ。さすが記念作という感じだ。
敵役や脇役の俳優も超豪華だ。父である景行天皇には中村鴈治郎、熊曽兄弟には志村喬と鶴田浩二、日本武尊を裏切る久米八腹の上田吉二郎が演じている。これ以外にも黄門様でおなじみの東野英治郎や、今も活躍中の宝田明、ウルトラマンの博士役で有名な平田昭彦など、私の年代ならよく知っている顔ばかりだ。
中でも凄かったのは、天照大神が天の岩戸に隠れたときに、どうにか外に出てきてもらう法はないかと相談する八百万の神々が凄い顔ぶれだ。当時の喜劇界の大物が大集合という感じだ。
エノケンこと榎本健一、有島一郎、磯じまんの三木のり平、沢村いき雄、柳家金語楼、加東大介、小林桂樹に加え、踊りを踊る天宇受女命に乙羽信子、天岩戸をこじ開ける力持ちの手力男命に朝汐太郎と凄い顔ぶれだ。因みにこの世の初めを作った神には、ズビズバの左卜全が扮していた。
映画と言うのはよく練られた脚本や名優の素晴らしい演技を観て感動するものであるが、こういうオールスターが勢ぞろいするお祭りのような映画も観ていて楽しいものだ。しかし、この映画はこれだけの人物が登場するから時間も長い。全編で3時間の長尺なのだ。
というわけで、珍品というと失礼かもしれないが、いつもはあまり観ない映画を観た。

男はつらいよ


昔、お正月映画と言えば渥美清さんの寅さんでお馴染みの「男はつらいよ」が定番だった。毎回、素敵な女優さんがマドンナとして登場し、柴又のとら屋の暖かな人達と織り成す楽しくてちょっと悲しい喜劇を楽しみに見ていたものだ。寅さんが、毎回マドンナに恋をして失恋するのだが、その寅さんがチャーミングでかっこいい。四角い顔に小さな目の渥美さん演ずる寅さんの行動は可笑しくて笑えるのだが、その反面、旅先の寅さんのなんともいえない哀愁も溢れていて、コメディだけどペーソスに溢れた素敵なシリーズだった。残念ながら、渥美さんは亡くなったが今もスクリーンの中で暖かな気持ちにさせてくれている。
面白いCDを見つけたので紹介したい。タイトルは、「男はつらいよ 寅さん発言集」。このCDは全部で44トラック。主題歌や音楽ももちろん収録されているのだが、映画の中での名台詞も収録されていて、寅さんの声で語られると良いなあと思ってしまうのだ。
その中で、大学入試に悩む満男が寅さんに「人間は何のために生きるのか」という質問をして、寅さんがそれに答える台詞がある。
なんていうのかな、ほら、あー生まれてきて良かったなって思うことが何べんかあるじゃないか、ね。
そのために人間生きてるんじゃないか。
その内、お前にもそういうときが来るよ。
ま、がんばれ。
短い会話だが、さすが寅さんと思える素晴らしい答えだなぁ。確かにそうだな。と思った。素敵なCDだ。また、寅さんが観たくなったな。

アラン・ドロン


私は、映画が大好きだが、年とともに好みも変わってくるし、映画の見方も変わってくる。昔から好きだったスターは今でも大好きだが、特にアラン・ドロンは大好きだ。
中学1年の時、亡くなった父がはじめて洋画に連れて行ってくれた。その時に見た映画が、ポセイドンアドベンチャーだ。ジーン・ハックマン主演のパニック映画の超大作だ。豪華客船が津波で逆さまの状態になり、命を懸けた脱出劇を見て、映画の世界の虜になった。それまでのお子ちゃま向き映画と比べものにならない迫力とリアルさに、なんと大人が見る映画は面白いのか、と思った。それからは、テレビの洋画劇場は欠かさず見て、小遣いを貯めて友達と映画を見に行ったり、映画の世界にどんどん引き込まれていった。
その当時は、スティーブ・マックイーン、ロバート・レッドフォード、チャールズ・ブロンソン、チャールトン・ヘストンなどのアクションスターが活躍していたが、雑誌ロードショーの人気投票でいつも1位に君臨していたのは、アラン・ドロンだった。
フランス映画のビッグスターだ。フランス本国では、ジャン・ポール・ベルモンドの方が人気があったそうだが、日本では圧倒的にアラン・ドロンの人気が強かった。繊細で影があり、野望を秘めたクールな2枚目は、日本人好みだったのだろう。トレンチコートに身を包み、雨に濡れたパリの石畳を背中を丸めながら歩くアラン・ドロンはチョーかっこ良かった。女性では、カトリーヌ・ドヌーブが全盛だったので、リスボン特急ではこの2人が共演し、日本のファンは大喜びだったと思う。

最初は、チャールトン・ヘストンのアクション映画ばかり見ていたが、背伸びをしたい年頃の中学時代だったので、よく分かりもしないくせにフランス映画のアメリカ映画にはない屈折した雰囲気に憧れ、クロード・ルルーシュ、ルネ・クレマン、ルイ・マルといった監督の映画を始め、多くのフランス映画を見た。
ジャン・ルイ・トランティニアン、リノ・バンチュラ、イブ・モンタン、ジャン・ギャバンなどの渋い役者のかっこ良さに見とれ、個人教授のルノー・ヴェルレーの青春映画に憧れたものだ。その中でも、アラン・ドロンのかっこ良さは群を抜いていた。
アラン・ドロンのかっこ良さは、悲劇にある。大抵、最後は悲しい結末なのだ。私は基本的に、ハッピーエンドが好きだが、アラン・ドロンに限っては例外だ。あの悲劇の主人公を演じた時にたまらなくかっこいいのだ。
アラン・ドロンとリノ・バンチュラが共演し、ジョアンナ・シムカスが華を添えた冒険者たちは、大好きな映画だが、この時も悲しい結末に終わった。でも大好きな映画なのだ。

◆アラン・ドロン 1935/11/08生まれ フランス・パリ出身
アランドロンは、幼少の頃に父を亡くし、17歳で外人部隊へ入隊。除隊後、世界各地を放浪し、1956年パリに戻り大物プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックと契約。だが、それを破棄してイヴ・アレグレ監督の「女が事件にからむ時」で映画デビュー。1958年「お嬢さん、お手やわらかに!」で日本でも人気が上昇。「太陽がいっぱい」で爆発的人気を得て大スターへと成長する。58年に「恋ひとすじに」の共演者ロミー・シュナイダーと婚約するが、それを破棄してナタリー・バルテルミー(後のナタリー・ドロン)と結婚。64年にハリウッドに渡るものの作品に恵まれずまもなく帰国。その後「サムライ」などを発表してますます人気を誇る。69年にナタリー・ドロンと離婚、ミレーユ・ダルクと同棲する。その頃、彼のボディガードのマルコヴィッチ殺人容疑が掛かり大スキャンダルとなる。やがて殺人容疑は晴れ、製作者としても活動を開始。その後も、「危険なささやき」で監督業に乗り出すなど精力的に活躍。「真夜中のミラージュ」ではセザール賞主演男優賞を受賞。98年、旧友、ジャン=ポール・ベルモンドとの共演で話題を呼んだ「ハーフ・ア・チャンス」を最後に引退宣言をした。しかし00年に復帰しTVドラマを中心に活躍を続けている。ナタリーとの間に生まれたアンソニー、90年に生まれたアノシュカ、94年に生まれたアラン・ドロン・Jrも俳優になった。

  女が事件にからむ時 (1956) <未> 出演
  恋ひとすじに (1958) 出演
  お嬢さん、お手やわらかに! (1958) 出演
  黙って抱いて (1959) 出演
  学生たちの道 (1959) 出演
  若者のすべて (1960) 出演
  太陽がいっぱい (1960) 出演
  生きる歓び (1960) 出演
  素晴らしき恋人たち (1961) 出演
  フランス式十戒 (1962) 出演
  太陽はひとりぼっち (1962) 出演
  山猫 (1963) 出演
  地下室のメロディー (1963) 出演
  黒いチューリップ (1963) 出演
  さすらいの狼 (1964) 出演
  危険がいっぱい (1964) 出演
  黄色いロールス・ロイス (1964) 出演
  泥棒を消せ (1965) 出演
  名誉と栄光のためでなく (1966) 出演
  パリは燃えているか (1966) 出演
  テキサス (1966) 出演
  世にも怪奇な物語 (1967) 出演
  冒険者たち (1967) 出演
  サムライ (1967) 出演
  悪魔のようなあなた (1967) 出演
  太陽が知っている (1968) 出演
  さらば友よ (1968) 出演
  あの胸にもういちど (1968) 出演
  ボルサリーノ (1969) 製作 /出演
  シシリアン (1969) 出演
  ジェフ (1969) 製作 /出演
  仁義 (1970) 出演
  栗色のマッドレー (1970) 出演
  レッド・サン (1971) 出演
  もういちど愛して (1971) 出演
  帰らざる夜明け (1971) 出演
  リスボン特急 (1972) 出演
  ビッグ・ガン (1972) 出演
  ショック療法 (1972) 出演
  高校教師 (1972) 出演
  暗殺者のメロディ (1972) 出演
  燃えつきた納屋 (1973) 出演
  スコルピオ (1973) 出演
  暗黒街のふたり (1973) 出演
  愛人関係 (1973) 出演
  ボルサリーノ2 (1974) 製作 /出演
  個人生活 (1974) 出演
  アラン・ドロンのゾロ (1974) 出演
  ル・ジタン (1975) 製作 /出演
  フリック・ストーリー (1975) 製作 /出演
  プレステージ (1976) 製作 /出演
  ブーメランのように (1976) 製作 /出演
  パリの灯は遠く (1976) 出演
  友よ静かに死ね (1976) 製作 /出演
  チェイサー (1978) 出演
  エアポート'80 (1979) 出演
  未知の戦場/ヨーロッパ198X (1980) <未> 出演
  ポーカー・フェイス/アラン・ドロン・ウィズ・ジャック・ドレー (1980) <未> 製作 /脚本 /出演
  ナイトヒート (1981) <未> 出演
  テヘラン (1981) <未> 出演
  危険なささやき (1981) 監督 /製作 /脚本 /出演
  最後の標的 (1982) <未> 脚本 /出演
  鷹 (1983) <未> 監督 /製作 /脚本 /出演
  スワンの恋 (1983) 出演
  真夜中のミラージュ (1984) <未> 出演
  復讐のビッグガン (1986) <未> 出演
  デーモン・ワールド (1986) <未> 製作 /出演
  シネマ (1988) <TVM> 出演
  アラン・ドロン/私刑警察 (1988) 脚本 /出演
  ヌーヴェルヴァーグ (1990) 出演
  カサノヴァ最後の恋 (1992) 製作総指揮 /出演
  百一夜 (1994) 出演
  ハーフ・ア・チャンス (1998) 出演
  アラン・ドロンの 刑事物語 (2001) <TV> 出演
 
 

歓びを歌にのせて


この映画は、2004年のスウェーデンの映画だ。監督・脚本は、ケイ・ポラック。出演は、ミカエル・ニュクビスト、フリーダ・ハルグレン、ヘレン・ヒョホルム、レナート・ヤーケル、ニコラス・ファルクという面々。ハリウッド・スターじゃないので、馴染みのない名前ばかりだと思うが、皆さんチャーミングで素敵な役者さんだ。
私は、基本的に小難しい映画や理屈っぽい映画は見ない。中身が深いのは良いが、やたら難解で作り手の独りよがりで作られた映画は見ない。その面からみると、この映画はシンプルなストーリーで、分かりやすくハートのこもった良い映画だ。

歓びを歌にのせて (2004年・スウェーデン)
Så som i himmelen/As It Is in Heaven
製作:アンダース・ビルケラン、ヨーラン・リンストロム
監督、脚本:ケイ・ポラック
撮影:ハラルト・グンナール・ポールガール
美術:モナ・テレシア・フォーセイン
音楽:ステファン・ニルソン
衣装:ヘルヴィ・アンデア
出演:ミカエル・ニュクビスト、フリーダ・ハルグレン、ヘレン・ヒョホルム、レナート・ヤーケル、ニコラス・ファルク、インゲラ・オールソン

◆ストーリー
世界を舞台に活躍する著名なオーケストラ指揮者ダニエル。彼は過酷な公演スケジュールとプレッシャーの中、病に倒れ、第一線を退くことになる。ぼろぼろの心臓と深い孤独を抱えて、彼は生まれ故郷の小さな村に戻った。音楽にはもう関わらないと決めていたダニエルだったが、ある日、地元の聖歌隊の指揮を依頼される。離村の小さな聖歌隊。全く素人のメンバーたち。しかし、心から音楽を愛する彼らの心に触れ、ダニエルは音楽の素晴らしさを思い出していく。不器用で、それぞれの人生に様々な問題を抱えていた村の聖歌隊メンバーも、ダニエルと過ごす日々の中、また変わろうとしていた。夢が壊れても、傷ついても、人生の次の一歩を踏み出す。そのための勇気を、いつの間にか、彼らは取り戻していった。夢に見たコーラスコンクールの日、ひとりひとりの気持ちがつながって、ダニエルは人生で最高の幸福感を得る。そして…。

映画では、アル中の亭主の暴力で心身とも傷ついた女性ガブリエラが、歌うことで自分が生きている歓びを感じ、救われる。このガブリエラ役をスウェーデンの歌姫ヘレン・ヒョホルムが演じている。彼女が歌うガブリエラ・ソングが感動的で素晴らしい。歌唱力はもちろんだが、心に響く魂のこもった歌声がなんとも素晴らしいのだ。
ダニエルが、傷ついたガブリエラのために書いた曲をガブリエラが熱唱する場面はジーンと熱いものがこみ上げてきた。ガブリエラ役のヘレン・ヒョホルムは歌手としても成功を収めたスウェーデンの歌姫だから、その見事な歌唱力もさることながら曲がめちゃめちゃ素晴らしい。この曲を作ったステファン・ニルソンは作曲家でありピアニストの人物だ。

Gabriellas Sång

Text Py Bäckman – Musik Stefan Nilsson
Det är nu som livet är mitt
Jag har fått en stund här på jorden
Och min längtan har fört mig hit
Det jag saknat och det jag fått

♪私の人生は 今こそ私のもの
この世に生きるのは つかの間だけど
希望にすがって ここまで歩んできた
私に欠けてたもの そして得たもの

Det är ändå vägen jag valt
Min förtröstan långt bortom orden
Som har visat en liten bit
Av den himmel jag aldrig nått

♪それが私の選んだ生きる道
言葉を超えたものを信じつづけて
天国は見つからなかったけど ほんの少しだけそれを垣間見た

Jag vill känna att jag lever
all den tid jag har
Ska jag leva som jag vill
Jag vill känna att jag lever
veta att jag räcker till

♪生きてる歓びを 心から感じたい
私に残されたこれからの日々・・・
自分の思うままに生きていこう
生きてる歓びを心から感じたい
私はそれに値すると誇れる人間だから

Jag har aldrig glömt vem jag var
Jag har bara låtit det sova
Kanske jag hade jag inget val
Bara viljan att finnas kvar

♪自分を見失ったことはない
今までそれは 胸の奥で眠ってた
チャンスに恵まれない人生だったけど
生きたいという意志が私を支えてくれた

Jag vill leva lycklig
för att jag är jag
Kunna vara stark och fri
Se hur natten går mot dag
Jag är här och mitt liv är bara mitt

♪今の私が望むのは日々の幸せ
本当の自分に立ち戻って
何にも負けず強くそして自由に
夜の暗闇から光が生まれるように
そう私の人生は私のもの!

Och den himmel jag trodde fanns
Ska jag hitta där nånstans

♪探し求めていたまぼろしの天国
それは近くにある どこか近くに

Jag vill känna att jag levt mitt liv

♪私はこう感じたい
”私は自分の人生を生きた!”と

生きていれば心は傷つくこともある。人それぞれ悩みや問題を抱えているものだ。大きさも内容も異なるが、そのことで本来の自分を見失ってしまう。映画では自分の♪音を探すことで、自分の存在意義を確認し生きる歓びや誇りを取り戻していく姿が描かれている。それも重苦しくなく、淡々と伝わってくるのだ。
とにかく、登場する聖歌隊の人達がみんなチャーミングだ。心を傷つかせながらも自分の存在を感じ、それを見つけるためにダニエルとともに歌を歌う姿が感動的だ。
レナ役のフリーダ・ハルグレンも、とても魅力的でキュートな女性だ。ダニエルの自転車の練習を一緒に手伝う姿や、知恵遅れのトーレを優しくかばう姿は本当に素敵なのだ。
結末は言えないが、大きな感動が最後に用意されている。
本当に良い映画だなと思う作品だった。
まだ見ていない人は本当にお勧めなので、是非是非、観てほしい。

オーロラの彼方へ


大好きな映画だ。この映画、ジャンルは何に入るんだろうか?ファンタジー、SF、サスペンス?どの要素も入っているが、この映画は、テレビ解説風に言うとハートウォーミングなドラマだ。
遠い時間を超えた父と子に起こった奇跡の物語だ。
監督は、グレゴリー・ホブリット。真実の行方や悪魔を憐れむ歌の監督だ。この映画は素晴らしかったのに、これ以外はあまり良い作品はないなぁ。
1969年のニューヨーク上空に珍しいオーロラが出現した日、消防士のフランクは火災事故の救助を終えて、帰宅する。彼は、家族を愛し、野球を愛し、仲間を愛し暮らしていた。このオーロラの出現が彼に奇跡を起こすことになる。フランクは、その夜、見知らぬハム仲間と話すため、いつものように無線で呼びかける。
それから30年経った2000年、ニューヨークにはまたオーロラが出現していた。フランクの息子ジョンは、警官になっていた。彼女とも別れ、疲れた表情のジョンが一人家族で暮らした家に住んでいた。オーロラが出た日、偶然、弟のゴードンが訪れ、物置から古い無線機を取り出した。試しに古い無線機の電源を入れると誰かが呼びかけが聞こえてきた。
フランクには、インナー・スペース、フライト・オブ・フェニックス、オールド・ルーキー、エニイ・ギブン・サンデーに出演したお気に入りの俳優であるデニス・クエイドが演じている。メグ・ライアンの前の旦那さんでもある。1954年生まれだから、今52歳だ。こういう温かみのあるタフガイが似合う俳優さんだ。
息子のジョンには、ペイ・フォワードで薬漬けの青年を演じたジム・カヴィーゼル。正直なところ、暗い感じの役どころが多い俳優さんだが、この映画では、映画の前半のこの暗さがラストの爽快さをより大きなものにしてくれたと思う。
ジョンは、偶然に引っ張り出した無線で語り掛けて来た見知らぬ男と話をすることになる。お互いに世間話をする内に、同じニューヨークの同じ場所から通信していることに気づく。話をすると、名前も同じサリバン。父親の名前を語る男を信じられないジョン。息子の名前を名乗る男の話を悪戯だと思うフランク。慌てたフランクが落とした煙草で机を焦がすと、30年先のジョンの目の前で机に焦げ目が現れた。ジョンは目の前で起こった不思議な出来事に驚きながら、フランクに日付を聞くと、フランクが火災事故で亡くなる前日であった。
まだ悪戯だと信じ切れていないフランクは、ジョンの忠告を思い出し命拾いをする。この出来事でフランクも無線の相手が、息子のジョンだということに確信を持つのであった。
しかし、ジョンが命を落とさなかったことが災いし、違った未来が起ころうとしていた。ジョンとフランクが、時を超えて自分たちの未来のため、行動を起こすことになるのだが・・・
これ以上は、言えない言えない。
時間を超えて、無線で話すなんてなんて素敵なお話なんだろうか。タイムスリップのお話はたくさんあるが、基本的には暗いSFかコメディで、こういう素敵なストーリーは、あまりなかったように思う。30年の違った時代の話が同時進行するのだが、テンポも良く緊迫感のある展開が素晴らしいし、細かなところも色々工夫されていて本当に面白い映画だ。
因みに映画の邦題は、「オーロラの彼方に」だが、原題はFrequency=周波数だ。
映画のラストは、なんともいえぬ爽快感のある素晴らしいものだ。詳しいストーリーはふせるが、ああ見てよかったなという感じだ。
正直な気持ちだが、私は母も父もだいぶ前に亡くなったので、この映画を見て羨ましかった。できる事なら私もこの映画のように話をしたいものだ。だから、余計に感情移入して映画を見ていたのかもしれないな。
まだ、見ていない人にはお勧め!

ゴッドファーザー PART II


1972年に製作され大ヒットしたゴッドファーザーの続編だ。続編というと単なる続き物のようだが、この映画は、前作をさらに格調高く幅の広い作品にした映画だ。パート2では、若き日のビトー・コルレオーネの生い立ちとサクセスストーリーと交差しながら、ビトーの跡を継ぎドンとなったマイケルの苦悩を描いた作品となっている。原作は前作と同様マリオ・プーゾ、脚本はコッポラとマリオ・プーゾが手がけた。音楽はやはりニーノ・ロータ、指揮はコッポラの父カーマイン・コッポラ。
ビトの家族は、シシリーのコルシカ島で暮らしていたが、父や兄がコルレオーネ村のドン・チッチオに逆らったことから命を落とし、チッチオはビトがやがて父や兄たちの復讐をする前に命を奪おうとする。しかし、母親が命明けで彼を守り、ビトはアメリカへ移民として島を離れていく。新天地アメリカに着いたビトは、係官の勘違いからビト・アンドリーニではなく、出身のコルレオーネ村の名前が付けられ、ビト・コルレオーネを名乗ることとなった。ビトが天然痘にかかっていた事から隔離されるのだが、その窓から見える自由の女神と彼の姿が窓に映るシーンは哀感のある素晴らしいシーンのひとつだ。
コルレオーネ一家はニューヨークからネバダに家を移し、ファミリーを守り勢力を拡大するため、上院議員を抱き込みホテルやカジノの勢力を拡大していた。映画の冒頭は、彼の邸宅でのパーティシーンから始まる。コニーは、マイケルを憎み色んな男性と関係を持っては、彼に金の無心をしに着ていた。ファミリーは大きくなったが、合法的な組織に変えられることなく、信じられるのは義兄のヘイゲンだけの状態になっていた。
この映画では、若き日のビトーと現在のマイケルのストーリーが交差して進行するため、編集にはかなり苦労したそうだ。初回の試写では、ストーリーが分かりにくいためか評判が悪く、場面展開をする際もマイケルのシーンとビトのシーンをディゾルブして、なるべく分かりやすく整理をしたそうだ。コッポラは、ビトには前作のソニー役のカメラテストから決めていたロバート・デ・ニーロを配役した。しかし、前回と同様にパラマウントは難色を示したそうだ。
若き日のビトーが成り上がるきっかけとなった地元のヤクザであるファヌーチを射殺するシーンは、有名なシーンだが、この当時の町並みを再現するため、現在ある街に協力してもらい、外装から通りにある電柱や該当までカバーを掛けたりしたそうだ。コッポラの完璧主義は美術面でも徹底している。デ・ニーロはブランドのイメージを損なわないように、やや小さめの入れ歯をはめて仕草も工夫したそうだ。あの強烈なイメージがあるだけに、パラマウントがすんなり納得しなかったのも頷けるが、デ・ニーロでなければ、この役をこなせなかっただろう。
この映画でマイケルが命を狙われ、窮地に追い込まれるが、影で糸を引いていたのは父とも親交のあったマイアミのハイマン・ロスだ。兄のフレドは、彼らにそそのかされ、思いもかけずマイケルを裏切ることとなる。キューバの革命の日にそのことを知ったマイケル。
この映画は、アル・パチーノもデ・ニーロも本当に素晴らしいが、フレドを演じたジョン・カザールも素晴らしかった。気が弱く優しい性格であるが故に兄でありながら弟に面倒を見てもらっている遣り切れなさや、家族を愛している姿が切なかった。残念ながら、ジョン・カザールは1978年のディア・ハンターを最後に永眠した。
ちなみに若き日のドン・ビトーの髭は、デ・ニーロの提案だったそうだ。これには、スタッフの中でも賛否両論があり、最終的にはコインを投げて表が出て髭を付けると決まったというお話だ。
この映画の後半には、印象深いシーンが2つあるそのひとつが、マイケルが昔を回想するシーンだ。ビトの誕生日に家族やテシオ、カルロが集い、ビトの帰りを待つシーンだ。当初は、ブランドも特別出演する予定であったが、契約の問題で出演が実現せず、苦肉の策でそういう脚本に変更したそうだ。しかし、ブランドが姿を見せなかったことで、余計にブランドの存在感を示すシーンになったわけだ。
もうひとつは、フレドがマイケルの息子アンソニーに釣りのコツを教えるシーンだ。フレドは、マイケルと和解し、アンソニーの相手をして平穏な時間を持つことができた。しかし、マイケルはファミリーを守るには、兄は弱すぎることを許すことができない。湖の上で、釣りをする前に祈りを唱えているフレド。やがて、一発の銃声が聞こえる。なんとも悲しいシーンだ。
この2作目は、マイケルが大事なものを守ろうとしてすべてを失っていく物語だ。ふつう、映画は2作目は味が落ち、新鮮味も欠けるものだが、このゴッドファーザーに限っては、必然性のあった続編だったと思う。よく練られたプロット、前作同様にすべての面でレベルの高い仕上がりに加え、若き日のビトにもスポットを当てるといった離れ業までやってのけた。
それにしても、フランシス・フォード・コッポラはスターを発掘する能力に長けた人はいない。彼の映画で、アウトサイダーという映画があったが、当時無名だった若手俳優を多く起用している。その出演者の名前を挙げただけで、その目の確かさがわかる。
C・トーマス・ハウエル、マット・ディロン、ラルフ・マッチオ、パトリック・スウェイジ、ロブ・ロウ、エミリオ・エステヴェス、トム・クルーズ、ダイアン・レイン、レイフ・ギャレット。
この映画の16年後にパート3が製作されたが 、正直なところ月日が経ちすぎたように思える。よくできた映画だが、パート3で贖罪する心境の変化に至ったパート2と3の間が抜け落ちている感じが否めない。
それにしても、ゴッドファーザーって、奥の深い面白い映画だなぁ。

ゴッドファーザー


好きな映画のベスト10を選ぶとしたら、間違いなくゴッドファーザーを選ぶだろう。この映画は、イタリアのシシリー島からの移民ビトー・コルレオーネが築いたマフィアのファミリーに起こる様々な出来事を綴った壮大なドラマだ。映画では、他のファミリーとの抗争、仲間の裏切り、暗殺といったマフィア同士の仁義なき戦いを描いているが、映画の主題は家族である。何を今更、説明されなくっても知ってるよ、という感じだが、1972年に製作されたこの映画は、パート2と続き、パート3で完結する。名匠フランシス・フォード・コッポラの名を世界に知らしめた作品でもある。
脚本はコッポラとは同名の原作小説の作家、マリオ・プーゾ。コッポラは、原作から脚本やコンテを構想するのに、原作をスクラップブックに1ページずつ切り張りし、その余白や周りにメモ書きをしたそうだ。特に重要なシーンは線を引き、シーンのイメージを書き記して撮影したそうだ。
映画にふさわしい壮大で哀愁に満ちた音楽は、太陽がいっぱいや甘い生活などのフェリーニ作品で知られるイタリアの大作曲家ニーノ・ロータ。
ファミリーのドン、ビトー・コルレオーネには、マーロン・ブランドーが演じた。ブランドーは当初、パラマウントの上層部からは映画の製作を遅らせる問題児として気に入られなかったが、コッポラの粘りで2つの条件をブランドにのませることで彼のスクリーンテストを認めたそうだ。その1つは、ノーギャラでスクリーンテストを受けること、もう1つは撮影を1日でも遅らせないこと。そして迎えたスクリーンテストの当日、ブランドは近くにあったチーズを口に含み、髪に靴墨を塗って、ビトーはブルドッグみたいなんだろうと演じて見せたそうだ。最後にはティッシュを口に含んで完璧に演じたらしい。こうして、あの陰と重みのあるドンが生まれた。今となっては、ブランド以外の役者は思いもつかない。
同様に主役のマイケルを演じたアル・パシーノも当初は、上層部にはお気に召さなかったそうだ。地味でお客を呼べるスターではなかったからだ。会社は、ある愛の詩のライアン・オニールやレッドフォードを推した。しかし、コッポラは原作を読んでこの役は、アル・パチーノしかいないと思っていた。会社側の圧力で、ソニー役のジェームズ・カーンやマーチン・シーンにもスクリーンテストを受けさせた。それでも、コッポラはアル・パチーノを押し続け粘り勝ちとなった。撮影中も会社側は気に入らなかったようだが、ソロッツオ殺害のシーンの後、会社側の態度は一変した。映画が公開され、彼もブランド同様に他の役者には代わりが務まらない存在感を示したのは言うまでもない。
長男ソニー役のジェームズ・カーン、相談役の義兄ヘイゲン役のロバート・デュバルもコッポラの選んだ役者達だ。陽気で気の短い長男ソニーもカーンの男臭さにぴったりはまり、デュバルの冷静な相談役も見事なキャスティングだ。ダイアン・キートンは、以前からアル・パチーノとの付き合いがあり、二人が話す様子や空気を感じキュートでエキセントリックな魅力のアル彼女をケイト役に決めた。あらためて、コッポラの役者を見る目の凄さを実感する。
ソニーの役には、ロバート・デ・ニーロも応募していた。コッポラは、デ・ニーロの演技の素晴らしさに驚いたが、ソニーのイメージには合わなかった。この時にコッポラはデ・ニーロの存在を忘れず、パート2で若き日のドン・ビトーを演じさせたのだ。
ドン・ビトーの娘コニーは、コッポラの姪であるタリア・シャイアが演じた。彼女は、ロッキーのエイドリアン役でも知られている。音楽のアレンジには、父のカーマイン・コッポラも加わっており、パート3では、娘のソフィア・コッポラがマイケルの娘役として出演している。ゴッド・ファーザーは、コッポラ一族の映画でもあるわけだ。ちなみにカーマイン・コッポラは、タッタリア・ファミリーとの抗争シーンの中で、アジトに詰めるマフィアたちの一人としてピアノを弾いている。
写真のシーンは、映画の冒頭のコニーの結婚式。ビトーの名付け子でもある歌手のジョン・フォンテーンが祝福に訪れたシーンだ。因みにモデルはフランク・シナトラと言われているが事実はどうだか。
映画のクライマックス。対立する他のファミリーのボスを粛清するシーンが、コニーの子供の洗礼式と同時進行で展開する。コッポラならではの緻密な場面展開と荘厳さが伝わってくるシーンだ。全3作の中でも最も素晴らしいシーンだと思う。
映画の最初のコニーの結婚式では、マイケルは、父ビトのファミリーの仕事を忌み嫌っている。しかし、ビトが暗殺されかかり瀕死の重症を負ったことや、ソニーの死などの運命に翻弄され、ビトの後を告ぐことになる。徐々にマイケルがファミリーを守るため、非常な人間に変わっていく皮肉な運命を描いている。パート2、パート3では、マイケルが命を懸けて得たものを失っていく姿が描かれている。
この壮大なホームドラマは、何度見ても面白いのだ。美術、音楽、演出、演技、編集のすべてが高いレベルであり、かつストーリーが面白い。この面白さをうまく表現できないが、また見たくなってきた。

ジョニーは戦場へ行った


北朝鮮やイランでの核開発が話題になり、日本の国会議員の中でも、一部の過激な議員から核保有の可能性の話題が出ているそうだ。最近、そういうきな臭い話題が増えてきた。自衛隊の在り方を論ずるのは結構なことだが、戦争で唯一の被爆国である日本が率先して長崎を最後の被爆地にする働きかけをしてほしいものだ。
そもそも、どんな綺麗事を並べても人が人を殺す行為に代わりはない。国家という御旗を盾にして人を殺しているだけだ。核だけでなく、すべての戦争がなくなることが大事なのだ。だから、核拡散防止条約なんてすでに核保有している大国のエゴであり、北朝鮮やイランからすれば、お前たちは持っているじゃないかとなるわけだ。持たなければやられるという、冷戦時代に生まれた疑心暗鬼による軍拡競争を止められるのは、日本だけではないかと思うときがある。
日本人ほど戦争が嫌いで、戦争をしたい、核を持ちたいと思っていない国民は世界中で唯一無二の存在ではないだろうか。これこそが、日本人が世界に胸を張って誇れることだと思う。核を持たないからこそ核を持たない働きかけができるはずだ。アメリカの核の傘に守られているのは事実だが、そう言ってしまえば身も蓋もない。何年かかってもいいから地道に働きかけることが日本の役割ではなかろうか。否定の話なんて簡単にできるからこそ地道に努力することが大事なんだと思うのだが。
何となく、そんなことが頭に浮かんでブログに記事を掲載した。
私が、戦争の悲惨さを実感した1本の映画がある。中学の頃にテレビで見たのが初めてだ。ジョニーは戦場へ行ったという1971年のアメリカ映画だ。第1次大戦当時の話である。ある若い兵士が戦争で手足をなくし、目も見えず、耳も聞こえない肉の塊になった青年がベッドに横たわり、生きる望みもなく死ぬことも出来ない戦争の悲惨さを訴える作品だった。
映画のストーリーはこんな感じだ。あえて結末まで書くので、未見の人は、ご注意を。
第1次大戦にアメリカが参戦。コロラド州に住む青年ジョニー(ティモシー・ボトムズ)は、ヨーロッパの戦場へと出征していった。戦場では、砲弾が飛び交い、轟音とともに大地が吹き飛ぶ。ジョニーは、戦場で砲弾の爆発で大怪我をし、陸軍病院へ運ばれる。手足は吹き飛び、顔は額のすぐ下から無くなり、残されたのは鼓動する心臓が収まる胴体と延髄、性器のみ。もはや、肉の塊となった彼は、「姓名不詳重傷兵第407号」として、「死者と同じ意識も無い彼から学ぶため」として軍医長が研究のため、人目につかない倉庫に運び込まれた。
しかし、彼の意識は死んでいなかった。真っ暗闇の中で意識を取り戻すが、彼には何故ここにいるのかも理解できなかった。そんな状態の中、ジョニーの意識の中で過去の記憶が駆け巡った。
貧しかった少年時代に亡くなった父の記憶。勤め先のパン工場はの熱気。仲間と踊ったダンス。戦争に出生する前に彼女と過ごした夜のこと。そんな記憶と交互しながら、看護婦が彼の世話をしてくれていることに気がつく。
やがて、彼は自分の手足が無くなり、顔に目も鼻も口も耳も無くなった事実に気づく。絶望の中、死ぬこともできない。
そんなある日、暖かな日差しの感触と看護婦が生けてくれた一輪のバラの香りを感じる。そんな彼のことを世話する彼女は、彼のために涙を流していた。やがてクリスマスの日、看護婦はジョニーの胸に文字を書いた。M・E・R・・・、メリークリスマス。
ジョニーは、父に教えられたモールス信号のことを思い出し、頭を枕にたたきつけることを思いつく。これで、外の世界に自分の意識を伝えようとしたのだ。それを見た看護婦は軍医を呼んだ。呼ばれた将校は<407号>の額にモールス信号を送った。「君は何を望むのか?」ジョニーは答えた。「外に出たい。ぼくを皆に見せてくれ。それができないなら殺して欲しい。」将校は愕然とし、この事実について一切の他言を禁じた。
皆が去ったあと、1人残った看護婦は、殺してくれと訴えつづける彼の肺に空気を送り込む管を閉じた。しかし、戻ってきた上官がこれを止め、看護婦を追いだしてしまった。倉庫の窓は閉ざされ、黒いカーテンが閉じられ、暗闇にジョニーだけが残された。
ぼくはこれ以上このまま生きていたくない。SOS、助けて、SOS・・・
心の中の叫びは誰にも届かず、いつまでも彼の中だけでひびき続けた。
監督、原作、脚本:ダルトン・トランボ
製作:ブルース・キャンベル
撮影:ジュールス・ブレンナー
編集:ミリー・ムーア
キャスト:ティモシー・ボトムズ(ジョニー)、キャシー・フィールズ、ドナルド・サザーランド、ジェイソン・ロバーズ、マーシャ・ハント、ダイアン・ヴァーシ、エドワード・フランツ
この映画を観た時、あまりにも残酷な話に大きなショックを受けた。それまでは、戦争映画は娯楽映画のひとつぐらいにしか思っていなかったから、戦争が生む悲劇を実感したことはなかった。もしも、自分がこのジョニーの立場になったらどうだろう。耐えて生き続けられるだろうか。戦争が生む本当の悲劇が痛いぐらい伝わってきた。
今でも戦争映画も観るし、人が死ぬ映画なんていくらでもあるが、それはあくまでフィクションだから見れるのだ。要するに作り話だから安心して映画を楽しんでいる。でも、その時はまだ中学生で物事の区別をする人生の経験も浅い頃だったので、そういう娯楽映画を楽しんでいる自分に嫌悪感を感じるほどの衝撃があった。
映画は楽しいほうが良いに決まっている。でも、こういう何か大事なことを教えてくれる映画も長い人生では必要だ。本も音楽も同じだ。
このきな臭い時代だからこそ、見直しても良い映画だと思う。

メンフィス・ベル


メンフィス・ベル Memphis Bell (1990年・アメリカ)
監督:マイケル・ケイトン・ジョーンズ
製作:デイヴィッド・パトナム、キャサリン・ワイラー
脚本:モンテ・メリック
撮影:デイヴィッド・ワトキン
編集:ジム・クラーク
キャスト(役名):マシュー・モディン(Dennis)、エリック・ストルツ(Danny)、テイト・ドノヴァン(Luke)、D・B・スウィーニー(Phil)、ビリー・ゼーン(Val)、ショーン・アスティン(Rasal)、ハリー・コニック・ジュニア(Clay)、リード・エドワード・ダイヤモンド(Virge)、コートニー・ゲインズ(Eugene)、ニール・ガントリ(Jack)
第2次大戦を舞台にした戦争映画だ。戦争映画なのだが、少し赴きが違う映画だ。戦争に出撃する若者たちの不安や仲間との絆、当時戦争に行った若者たちの思いを綴った良い映画なのだ。戦争礼賛とは違うところが良いのだ。
あらすじは、こんな感じだ。1943年、イギリスにある米軍基地からナチス・ドイツに向けたB-17爆撃機による危険な白昼攻撃を続けていた。その爆撃機の中で24回の出撃で無事帰還していた10人の若者がいた。彼らの登場する爆撃機はメンフィス・ベル。最後の出撃となる25回目の出撃を迎え、これが無事終われば10人は英雄として故郷に帰れるのだ。しかし、最後の出撃で、敵の砲弾を浴び傷つきながら帰還をするのだが、・・・
撮影にはアメリカに現存するB-17が使用されたが、対戦中に作られた13,000機の内、飛行可能なのはわずか8機しか存在せず、そのうちの2機が使用された。B-17に攻撃を仕掛けるドイツのメッサー・シュミットも33,000機製造されたが、飛行可能な機体はわずか4機しかなく、3機が撮影に使われたそうだ。映画の最後にこういうテロップが流れる。
「25万以上の飛行機が西欧の上空で戦い、20万もの空の戦士が命を落とした。この映画は国籍を問わず、この歴史的な戦いに身を捧げたすべての勇敢な若者たちに贈る。」
映画の中では編隊を組んでドイツへ向かうB-17が敵機の攻撃にあって墜落したり、傷だらけになりながら帰還した機体が着陸後炎上したり、尊い若い命が失われるシーンも多く、B-17の飛んでいる姿がかっこいいというより、戦争の悲惨さが伝わってくる映画だ。映画の主題もそちらに重点を置いたつくりになっている。
この映画の素晴らしいのは、10人のクルー達のキャスティングだ。10人のリーダーは真面目な操縦士のデニス(マシュー・モディン)。無線士のダニー(エリック・ストルツ)は心優しい詩を愛する若者。旋回銃座のラスカル(ショーン・アスティン)はお調子者。機関士兼上部銃座のパージ(リード・エドワード・ダイヤモンド)は女性が苦手。後尾銃座は歌のうまいクールなクレイ(ハリー・コニック・ジュニア)。側面のジャック(ニール・ガントリ)とユージン(ユートニー・ゲインズ)の2人はいつもからかい合う喧嘩友達。爆撃手のバル(ビリー・ゼイン)は医者志望と経歴をごまかす気取り屋。運命論者のフィル(D・B・スウィーニー)が航空士。そして副操縦士は野心家のルーク(テイト・ドノヴァン)でデニスを煙たがっている。この個性ある若者たちが生き生きと演じているのだ。
戦争映画というより当時の若者を描いた青春映画という感じだ。良い映画なのでまだ見たことのない人はぜひ見てほしい。