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2017年8月3日木曜日

クリント・イーストウッド


クリント・イーストウッド
1930年5月31日 サンフランシスコで生まれた。
2017年現在、87歳。
役者としては、ほぼ引退しており、映画監督として活躍している。
役者になった頃は、様々な作品のオーディションを受けるものの、ことごとく落選。演じる役は端役ばかりだった。
1959年にテレビシリーズ『ローハイド』の副隊長のロディ役に起用され、役者としての転機を迎えた。
でも、イーストウッドは30歳で10歳代の役を演じることに抵抗があった。
シーズンが進むにつれ、ロディ役を演じることに疲れていた。
ちょうどその頃、イタリアの映画監督であるセルジオ・レオーネは、『荒野の用心棒』の制作を企画しており、出演料が低く西部劇を演じられる役者を探していた。
レオーネもまだ無名の監督だった。
チャールズ・ブロンソンやジェームズ・コバーンなど多くの役者にオファーしたが、ことごとく断れた。
断った俳優の一人であるリチャード・ハリソンが、ある俳優を推薦した。クリント・イーストウッドである。
レオーネはローハイドの映像を観て、クリント・イーストウッドを気に入った。
193cmの長身と外見に最も魅力を感じたそうだ。
イーストウッドは、当初このオファーに難色を示した。ローハイドの出演に疲れていた彼は、数ヶ月の休暇を取ろうと考えていたからだ。
ところが、脚本に目を通して気持ちが変わった。黒澤明の『用心棒』をモデルにしていたことに気付き、内容を読むとよく考えられた脚本であったからだ。
こうして『荒野の用心棒』から『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン』の3作品が、生まれた。
1965年に『荒野の用心棒』が制作されて、1967年に『続・夕陽のガンマン』が制作されたが、『荒野の用心棒』に対して、東宝から無許可使用で訴訟を起こされたこともあり、アメリカで公開されたのは、1967年となった。1967年に立て続けに3作品が公開され、アメリカでの名声を確立する。
スターの仲間入りをしたイーストウッドは、ユナイテッド・アーチストと契約を結び、『奴らを高く吊るせ』を共同制作し、出演。
007シリーズを上回る興行成績を記録した。
この結果から、かつて解雇されたユニバーサルから、和解金も含めた出演料100万ドルで『マンハッタン無宿』に出演する。
監督はドン・シーゲル。
二人はこれ以降、友人関係となり、後にこの映画を原型とした『ダーティー・ハリー』シリーズが誕生することとなる。
数々の映画に出演し、ダーティー・ハリーで大ブレイクし、映画の出演、映画の制作・監督を行い、現在に至っている。
監督業も1971年のサスペンス映画である『恐怖のメロディ』を初監督してから続いており、30を超える作品を世に送り出している。
『許されざる者』と『ミリオン・ダラー・ベイビー』の2作品で監督としても、アカデミー賞を受賞した。
テレビドラマのカウボーイから始まり、マカロニ・ウエスタン、ダーティー・ハリーを経て、数々の作品に主演、監督し、スターとしても監督としても成功なんて、誰もが羨む映画人生です。

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